優しきダンディ

罪滅し編のタイムテーブルを作成するのはなかなか難しい。時間経過を表現するのに「数日」というあいまいな単語が多用されているためだ。これが途中の経過をあいまいにしているために、鬼綿祟のようにすんなりとは日付を決定できない部分が多い。


それでも、Tips における梨花の「まだ10日以上」などの発言を踏まえた上で、致命的なエラーを生じさせないようなタイムテーブルを作ればおよそ以下の様になる筈だ。


http://www.geocities.jp/den_dro_gram/Tsumi_TT.html


何ともスッキリしない結果になってしまった。


例えばデザートフェスタの日付。
綿流し編の6/16と比較して11日もの開きがある。
天候などと比べれば、明らかに「人為」の側に属する事象だけに、それがこれほど不確定なものであるならば、「各編のバックグラウンドはどこまで共通と考えられるか?」という疑問に対する解が曖昧になってしまう。


お疲れ様会で提示された情報を信ずる限り「各編のバックグラウンドは基本的に共通」となる筈であり、それ故「鷹野の祭具殿侵入は全編共通」もほぼ作者の公式見解となっているわけだ。


しかし、祭具殿侵入の有無とデザートフェスタの日付に本質的な違いがあるのだろうか?

例えば、綿流し編目明し編における事件の日付の相違ならば納得できるのだ。「各編においてはキャラクターの初期配置が異なる」のであるから、主要キャラが直接関与する事件に関しては、多少の日付のズレが発生するのは当然と考えられる。


しかし、作中の登場人物の行動がデザートフェスタの日付に影響するようなことがあり得るだろうか?そも、そのチケットが高値で取引されるようなイベントであれば、かなり以前の段階、すなわちシナリオ開始の遥かに前の時点でその日付は決定されている筈である。その意味において、デザートフェスタの日付は、S57までの祟りと同様の「各編において共通のバックグラウンド」であるべきだと思うのだが。


つまるところ、何が共通要素で何が可変要素であるかは作者の恣意によるとするならば…ぶっちゃけ、『推理』とかありえないから、うん。


まぁ、そんな細かい点は置いておくとしても…
個人的にどうしても納得できないのが葛西の行動。


レナが「葛西に会いたい」と魅音に要請するのが6/7。
それに応じて葛西がアクションを起こすのが6/23。
なぜ2週間以上も放置していたのか?

このままうやむやにされたくないので、魅ぃちゃんの耳元に、急いで返した方がいい、きっと葛西さんも探してるよ、と言い残した。

魅ぃちゃんは、了解了解と復唱すると、手を振って去っていった。


急を要する要件であることは、レナも明言している。

「えーー? レナさんが家にいない? この時間にー?」

「はい。しばらく家の前で待たせていただきましたが、戻られる気配がなかったもので、一度引き上げました。」

「誰かの家に遊びに行ってるとかじゃない? 案外、本家でお姉たちと一緒に部活大会だったりしてね。」
詩音はソファーに寝転びながら、はしゃぐ魅音たちを思い浮かべて笑った。

「…一応、それを疑って本家にも寄らせていただきましたが、いらっしゃられないようでした。魅音さんも、レナさんがお帰りになられないのを心配しておられました。」

「…………そうなの? …どうしたんだろうね。はて。」

「滅多にないことだろうとは思いますが、タチの悪いのに絡まれたのかもしれません。念の為、レナさんを見かけていないかどうか、聞き込ませています。」

「あの子に限っては大丈夫だと思うけどなぁ。何気に強いしね。あははは。」

「それはそうと、私に何の用だったんです…?」


葛西をバカにしてはいけない。
「何の用だったんです?」という彼のセリフは、そもそも「落し物を返したい」という表向きの理由を葛西が聞いていなかったか、重視していなかったことを意味する。にもかかわらず「しばらく家の前で待たせていただきました」、そして


「滅多にないことだろうとは思いますが、タチの悪いのに絡まれたのかもしれません。念の為、レナさんを見かけていないかどうか、聞き込ませています。」


レナのことを相当に心配している。つまり葛西は、レナの用件というのがあまり表沙汰にできないような類のものであることを感づいてた可能性が高い。葛西がレナと会ったは喫茶店での一度きりなのだから、その「用件」が鉄平がらみであるかもしれないということも、うすうすは感づいていたのではないか?


であればこそ、2週間にも及ぶ「空白」はおよそ理解しがたい。
まぁ、葛西もいろいろ忙しかったのかもしれないが…間に立った魅音や詩音の悪意を想像してみたくもなる。


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結局のところ…


竜騎士07という作者は、複数のタイムラインの管理が下手糞なんだろうな…という結論しか私には考えられない。あまりにも主人公の視点に没入しすぎてしまうために、物語の外側で起こっている出来事について、うまくタイムスケールを調整しながら辻褄をあわせるという作業ができないのだろう。

「母のケジメ」しかり、「消えた3日目の謎」しかり…


タイムテーブルがらみの問題は、深く追いすぎないのが吉と見た。