入江と大石

「入江先生〜。あーいらっしゃいましたか。お電話です。」

「今、ちょっと忙しいので後で掛け直すと伝えてください。…誰からです?」
「興宮警察の大石さまですけど。」

「あ、………ちゃー…悪いタイミングですね。………出ます出ます。」


圭一が診療所で入江に鉄平殺害の告白をした、その後の一幕。
大石の用件を想像するのは容易い。焼死体が鷹野のものであることが確認されたのであるから、その報告やその他もろもろの確認事項などがあって当然だろう。


一方、入江の立場。
入江には医者としての義務がある。その中には「守秘義務」というものもある。圭一の鉄平殺害の件を入江が信じていたとするならば、それを大石にタレこむこともありえる。しかし、それは圭一の虚言か妄想だというのが入江の判断だ、今のところは。無責任にベラベラと喋ってしまったりはしない。


だがもしも、電話の途中で部下からこんな報告があったとしたらどうか?


『大変です、先生。前原君が見当たりません』


おそらくあったのではないかと思う。大石からの用件は数十秒で片付くようなものではなかったろうし、部下が圭一の様子を確認に行くのは当然の行為だからだ。


それでも入江は守秘義務固執するだろうか?
おそらく、しないだろう。


入江の立場で考えれば、これは大失態だ。非常に危険な状態にある患者を逃がしてしまったのだ。こうなると、「圭一の保護」こそが医者としての義務となる。圭一から聞いた話をどこまで詳細に大石に語るかは、入江の性格にもよるだろう。しかし、圭一の保護を大石に要請するのは、ある意味において自然な流れ。否、そうしない方がおかしいと言えるかもしれない。

その時。…………俺を取り囲む影絵が、…ぞわりと一斉に、全て動いた…。

「………………………ぇ………………………、」
頭の中に…ざらざらとした熱いとも冷たいともつかないものがぎっしり詰まり、…ざわざわと駆け巡る。

影絵たちは俺をぐるりと取り囲み……、見下ろしていた。
その中の、一際大柄な影絵が……一歩踏み出した。

「………………こんばんは。…………んっふっふっふ、月の綺麗な晩ですねぇ。」
脳内のざらざらが、全部脊髄を通り抜けて…腰から出て行ってしまう。
……体中の力が、腰から脱力し……俺は自らが掘った泥の海の中に、…どしゃ、っと…しゃがみ込んだ……。

「………………お、…………大石………………。」


だから、大石が圭一の前に現れたことは不思議なことではない。
地面を掘り返す圭一を発見したとき、大石は心の中で勝利を確信したに違いない。

「大石さん…。もうかなり手応えが固いです。これより深くってことは、ありえないと思います。」
「…掘る場所を間違えました?」
「……いえ、…始めの内は明らかに掘り返す感触でした。ですが、この位を掘った頃から急に固くなりまして。……多分、元々掘った穴よりも、深く掘り進んだのだと思います。」

「………じゃあ、…つまりなんですか。ここには穴があって、何もなくただそのまま埋め直された、と。…皆さん、そう仰るわけで?」
…………………………え…? ……どういう…ことだ…………?

「なっはっはっはっはっはっは…。こりゃあ…まいったなぁ。ねぇ? 前原さん?」


だがその確信は裏切られた。
おかしい、鉄平が昨日の夜から帰宅していない以上、そこに埋まっているのは彼に違いないはずなのに。いや、それともこれから埋めるつもりだったのだろうか?それとも鉄平の失踪は思い違いだったのか?本当に鉄平は帰宅していないのだろうか?

「で、北条鉄平の方は何も問題なし?」
「えぇ。夕方頃に娘が祭りに出掛けて、その少し後にバイクで出掛けまして。…先に娘が帰ってきて、…あれ? まだ帰ってないかな? どこかで飲んだ暮れてるのかな…?」


『小宮山くん、本当に鉄平は帰らなかったんですか?何かの見間違いじゃ?』


さて、この先どうするか。
あくまで鉄平失踪の線を追いかけるか、気持ちを切り替えて、別の切り口から富竹事件の捜査方針を練り直すか。


本当に鉄平が帰宅していないのか。まずはそれを確かめてからだ。


大石たちは、北条邸へ向かった。