歌は空気に溶ける

大学に入学して、とある音楽系のサークルに入った。
それまで楽器を習ったりしたこともなく、特に音楽に興味があったというわけでもなかったのだが。
自分らしくないことをしてみようと思ったりしたのだ。なんだろね? 我ながら変な奴だ。


初めは何が面白いのかも分からなかったものの、最初のステージを踏むころにはもっと上手くなりたいという欲も持つようになる。その内、週3回しかないサークルの練習だけじゃ上手くなれないと、サークル内有志や他大学のOBなどの演奏団体にも参加するようになる。そのうち、日々の練習が楽しくてしょうがなくなってくる。


一番多いときで5つほどの演奏団体を掛け持ちしていた。まぁ、充実していたわ。


演奏会とは言っても、アマチュアの特に上手でもない団体のこと、客席に見えるのは付き合いのある他の団体の人間か、演奏者のお友達。要は内輪の発表会の域を出ない訳だが、それでもステージに立って客の前で演奏する緊張感というのは、何ものにもかえがたいものがある。


こういうアマチュアの演奏会では、必ずプログラムと一緒にアンケート用紙を配布する。客として聴きに来る方も慣れたもので、大抵は筆記用具持参。場合によりけりだが、回収率はおおむね5割を超え、9割以上という場合もある。そういう「お互いに批評しあう」空気があるところも、また内輪の発表会なのだが。


たった一言、「とても良かったです」というものもあれば、演奏曲目ごとに良かった点・悪かった点をびっしりと書き連ねたもの、演奏技術や音楽表現に関する助言もあれば、くそみそな批評も当然ある。多くは鉛筆書き、それも演奏の合間の休憩時間に走り書きしたような、決して綺麗とは言えない文面からは、その字面を眺めるだけでもいろいろな思いが伝わってくるものだ。中には「ごめんなさい、寝てました」なんてのもあったりするものの、前後の文脈から忙しい最中にわざわざ足を運んでくれたことがわかれば、その飾らない明け透けさにむしろ深い親しみをおぼえたりもする。


自身の演奏に関するアンケートを読むのは、総じて痛い。
自分たちの技量が未熟であることなど、百も承知なのだ。それでも本番で失敗した個所はまず間違いなく指摘される。表現に厳しい・やさしいの違いはあれど、見逃してはもらえない。


しかし、それはとてもありがたいことなのだ。未熟さを指摘する人は、それだけ真剣に演奏を聞いてくれたということだから。一般論として、アンケートに詳細な記入をしてくれる人というのは、自身がその所属する演奏団体で指導的な立場にある場合が多い。記入の手間を惜しまないのは、より良い演奏を望む期待があってこそなのだ。だから本当にありがたい。


そしてアンケートを読むのは、やはり嬉しい。
何十回かのステージを踏んでわかったのは、自分が気持ちよく演奏できたときは、お客さんもまた気持ちよく聴いてくれているということ。気のこもった演奏は、必ず聴き手に伝わる。逆に言えば、気のこもらない演奏だと客も退屈する。アンケートを読むと、そういうのは痛いくらいに伝わってくるのだ。だから気は抜けない。例え未熟であっても、その時できる精一杯の表現が出し切れれば、音を楽しむ心は間違いなく伝わる。


客席とステージが一つになれる充足感。
慣れることなど、絶対にない。
飽きることなど、絶対にない。