利用される大虐殺

「ハラブジャ事件」と言ってもピンとこないという向きが多いかもしれない。だがおそらくあなたは、この事件のことを耳にしたことがあると思う。サダム・フセイン体制下のイラク軍がクルド人の村に対して毒ガスを用いて、非戦闘員を大量虐殺した事件、ガスが使用された村の一つがハラブジャだと言えば思い出すのではなかろうか? 「ハラブジャの虐殺」「血の金曜日」などとも呼ばれている。


ハラブジャ事件が発生したのは、1988年3月16日、イラン・イラク戦争の末期だとされている。死傷者の数については諸説あるが、これまで最も多く報じられてきたのが、ハラブジャ事件を含むアンファル作戦全体の実態を調査したヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書(1993年)*1に基づく数字。この報告によれば、ハラブジャ事件における死者は5,000人以上、作戦全体では50,000人以上、おそらく100,000人近くが殺されたとされている。


しかし、これ程の大量虐殺でありながら、当時この事件はあまり世界の注目を集めなかったようだ。まぁ、これは主観の問題だ。ルワンダの虐殺もアチェの虐殺も、その規模に比べれば、あまり世界の注目を集めたとは言えない。


だがハラブジャがやや特殊と言えるのは、この事件が発生直後よりも、むしろ今世紀に入ってからより注目されるようになったことだ。9.11以降、今日に至るまで、米国のブッシュ大統領イラクサダム・フセイン(元)大統領に対して「自国の国民を化学兵器で殺す圧政者」という糾弾を繰り返し行ってきたことが大きな要因だろう。


糾弾するなら88年の時点でやれば良いのに、と思わなくもない。米国を含む西側メディアの多くが、この事件を黙殺してきた背景には、彼等がフセイン政権下のイラクに多くの軍事的・経済的援助を与えてきたという事情がある。大量虐殺に使われたガスが、実は米国の援助で作られたものでした、なんてのは洒落にならない。*2


当時としてはフセイン政権にまだ利用価値があった、フセイン政権が倒されては困る事情があった、そういう見方もできる。91年の湾岸戦争の時、多国籍軍バグダッド侵攻を目前にしながら「寸止め」の停戦に走ったことにも、同様の観測を当てはめられる。そしてイラク戦争に向けて、思い出したかのようにハラブジャ事件のことを喧伝し始めたのは、フセインが「用済み」になったためだと。


善悪の指標は、大国の都合で左右される


それが我々の住む世界の実相リアルだ。



この話題、続く…