左手には裁縫針


昨日とりあげたような論点、ああいうのを「言葉のアヤ」と言う。真面目に取り扱うような論点ではないのだ…本来ならば。この程度の「ちょっと引っ掛かりを覚える」ような文章ならば、ひぐらしのあちこちで見つけられる。いちいち取り上げていてはキリがない。


しかし…この「裁縫針」に関しては、あえて拘ってみたいと思うのだ。作者が「裁縫針」を具体的にイメージしながら書いたとするなら、あのような表現にはならなかっただろうと思うから。


昨日の記事の様に…


・右手におはぎを持つ
    ↓
・かぶりつく
    ↓
・口内に違和感を感じる
    ↓
・左手で針を取り出す


この一連の所作を、具体的に、その映像を頭の中にハッキリと思い描きながら文章を考えたすると、あそこで「おはぎごと」投げつけるというアクションは考えつかないだろう…私はそう考える。右手におはぎ、左手に針という状態からならば、左手の針の方を放り出す…それが普通のリアクションであり、普通の人の想像力ではあるまいか?わざわざ危険物を取り除いた上で、おはぎの方も一緒に投げる理由がどこにある?


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そう、これはきっと…私の「考え過ぎ」なのだ。単なる言葉のアヤなんだから、深く考える方がどうかしてるのだ。作者は別に、そこまで深く考えた上でこの文章を書いた訳じゃない、そうにきまってる。


つまり、それが私の主張。
このおはぎと裁縫針の件の一連の描写を、作者は深く考えずに書いている。作者が深く考えてない部分を、プレイヤーが深く考えてもしょうがない。深く考えるのは構わないが、きっと後でガッカリするだけだろうと。


圭一が口の中から取り出した裁縫針…あるいは爪楊枝、丸めた紙、お魎の陰毛…何であれ、何らかの具体的な物体を作者がイメージしていたならば、その直後の「おはぎごと」の一言は出てこない。作者が、何か具体的なものをイメージしていたとは思えない。


故に、この論点に関する私の姿勢は、一貫して「回避」。解答しないというわけではない。それは解き明かすべき謎ではないというのが、私なりの解答。